【メディア情報】リハビリ当事者の声『リハノワ』で取材されました!

右足を失った僕が、今「幸せです」と言える理由。

皆さんにとって「幸せ」とは何ですか?

お金があること。
健康であること。
好きなことができること。
大切な人と一緒に過ごせること。

きっと幸せの形は人それぞれで、正解なんてないと思います。

僕は17歳で骨肉腫というがんになり、33歳で右足を失いました。

そんな僕ですが、今、胸を張って言えることがあります。

「義足になった今も、僕は幸せです。」

目次

17歳の僕には想像できなかった未来

高校2年生の17歳で、突然がんと診断されました。

周りの友達が当たり前のように学校へ通い、部活動や勉強に励む中、僕は病院のベッドの上にいました。

あの頃は、将来のことなんて想像できませんでした。

そして33歳で右足を切断。

義足になってからは、長い距離を歩くことも、階段を上ることも簡単ではありません。

正直、不便なことはたくさんあります。

でも、不便な生活と、不幸な人生は同じではありません。

切断直後

足を失っても、失わなかったもの

今の僕には、大切な妻と2人の娘がいます。

家族で出かけたり、子どもたちと笑い合ったり。

そんな何気ない日常が、僕にとって何よりの幸せです。

そして、もう一つ。

今では「義足パパ」として、全国の小学校などで講演活動をしています。

子どもたちに義足を見てもらい、自分の経験を伝える。

講演後には「義足ってかっこいい!」「最初はかわいそうだと思ったけど、考えが変わった」と声をかけてもらうこともあります。

まさか自分が全国の学校に呼んでいただき、子どもたちの前で話す日が来るなんて、以前は夢にも思いませんでした。

足を失った経験が、今では誰かの考え方を変えるきっかけになっている。

人生って、本当に分からないものですね。

講演風景

「かわいそう」と「不幸」は違う

僕が講演会でいつも伝えている言葉があります。

「不便だけど、不幸じゃない。」

障害があるから不幸。
義足だからかわいそう。

そう思われることもあります。

もちろん、障害があることで大変なことはあります。

でも、義足をしているというだけで、その人が不幸だと決めつけてほしくありません。

僕自身、右足を失いました。

それでも、家族と笑い合い、仕事をして、全国の子どもたちと出会い、充実した毎日を送っています。

足を失ったけれど、幸せまで失ったわけではありません。

義足パパファミリー

幸せは、誰が決めるもの?

17歳でがんになったことも、33歳で足を失ったことも、僕が望んだ人生ではありませんでした。

それでも今、僕は幸せだと感じています。

もし、あの頃の自分に声をかけられるなら、

「大丈夫。想像もしていなかった幸せな未来が待っているよ。」

そう伝えたいです。

幸せの形は、人それぞれ。

誰かと比べる必要もなければ、他人に決めてもらうものでもありません。

これからも大切な家族との時間を大切にしながら、義足パパとして、自分の経験を伝え続けたいと思います。

義足になっても、僕は幸せです。

最後に、もう一度聞かせてください。

皆さんにとって「幸せ」とは何ですか?

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義足パパ

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